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屋久島の里 行ってごらん(中間集落)

屋久島
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屋久島の里 第7弾 

 中間集落は島の南西に位置し、見上げる山は七五岳、集落の中心部に巨大な中間ガジュマル(町の文化財に指定)があります。また、中間浜は、最近サーフィンスポットになっています。
 海岸も山も素晴らしい景色を楽しむことのできる集落です。

19 中間浜

 白い砂浜には、ウミガメ(アカ、アオ)が産卵のため、上陸します。
 産卵の時期 4月上旬~8月上旬
 孵化の時期 7月上旬~9月下旬
 (永田浜のように観察会は行っていません)
 地元で保護活動を行っており、年間約70頭程が上陸します。孵化場を管理し、年1回夏祭りに自然保護の一環として子亀の放流会を行っています。(現在、子亀の放流会は行っていません)
 自然の亀石は一見です。
 沖合1kmのナル瀬(ナナ瀬)は別名軍艦瀬とも呼ばれており、太平洋戦争中、米軍の攻撃機が軍艦と間違えて爆弾を投下したと言われております。
 右前方に口永良部島、左前方にトカラ列島との間に沈む夕日は島でも唯一の絶景です。
 秀峰七五岳(1488m)は集落の御神山です。旧暦9月10日は岳参りを行います。
中間港入口の恵比寿神社(エビスサマ)木彫りの恵比寿が安置されています。豊漁と船の操業安全を祈って、エビス祭りが行われます。(旧暦八十八夜)

亀石

20 中間ガジュマル群(集落防風林)

 島内最大の樹齢300年を超える巨木です。屋久島町文化財指定ガジュマルは別名「タコの足」とも呼ばれ、幹はたれ下がった根が地表につき幹となりを繰り返し巨大な樹となります。
 アーチ所のくぐり門を作ったのは、昔、この奥に黒糖の製造工場があり中間川の水を利用した水車が動力源でした。この門をくぐると、いつの日かいいことがあると、巨大ガジュマルくぐり門と呼ぶようになりました。
 中間川(大川)は集落のなかを流れている唯一大きな川で、古代よりこの地に住む者を育んできた、命の川です。
 対岸には、アコウとガジュマルの平行樹(59ガジュマルとアコウ)があります。その先の対岸には、アコウとガジュマルの平行巨大樹があり、ガジュマルは合体樹であります。

合体樹

21 中間神社

 明治25年(1892年)12月18日に改築され、さらに昭和36年に改築されました。(建立年月日は不明)
 昔から参道となっている43段の石段は、現在も自然石を使い残っています。社殿の中には、旬々能智神(ククノチガミ)草野姫神(カヤノヒメノカミ)屋船豊受姫神(トヨウケヒメノカミ)が祀られています。
 神社裏山と公民館東には、森山大明神が祀られています。(文政10年建立)個人が寄進。
山岳信仰(旧暦9月10日)
 秀峰七五岳(1488m)が奥宮。中間神社は里宮として区別しており、岳参りから帰ったら坂迎えとして宴会を開く。

43 中間全景色

59 ガジュマルとアコウ

 暴風雨から集落を守るため、中間集落まわりには、多くのガジュマルとアコウが植えられており、自然に観察することができます。
 中でも、中間川橋付近にあるアーチ状になったガジュマル・アコウの合体樹(20 中間ガジュマル群(集落防風林))が特に代表的です。橋から見て、左側が樹齢約300年のガジュマル、右側がアコウ若木です。
 他にも、ここから上流に30mのところにある巨大なアコウとガジュマルの合体樹や、中間神社境内にあるガジュマルも一見です。

77 お産の神様

 この大木の根元には、かつて黒っぽい自然石(高さ60cm程)が置かれていました。
 女性が子どもを産むということは、昔から命がけの行いであったので、屋久島でも多くの集落に安産・子宝の神様があったようです。
 中間集落の安産の神様のいわれは、黒っぽい自然石の周りにある小石が1年に1個ずつ増えていったためとされています。昭和23年頃までは青年男子が管理して花などを供えていたようです。人々は、通りがかりに拝むこともあれば、流行病やお産前後に参拝していました。
 現在は、60cm前後の自然石は見当たらず、周囲にあったといわれている、小石も見つけることが困難ですが、長年、集落の人々が家族を想い祈ってきた、純粋な気持ちは、今もなお、この大木もとにありつづけています。

屋久島の一部の集落で語り部さんのガイドにより集落の案内を行っています。           詳しくは、こちら⇨屋久島の「里めぐり」

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