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屋久島の里 行ってごらん(楠川集落)

屋久島
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 屋久島の里 第21弾

 町指定文化財「楠川古文書」や、日本で初めて火縄銃による合戦が行われたといわれる楠川城跡のある歴史と伝統の集落

26 楠川城址

 大永4年(1524年)、種子島氏が屋久島支配の拠点として築城した。天正3年(1575年)の廃城までの約50年の間には、大隈半島の禰寝氏(ねじめし)との抗争で攻防戦があり、一時禰寝氏の城となったこともあった。屋久島には領主がいなかったため、屋久島の木材や漁業権を手に入れる争いだったと考えられます。城郭は海から48mの高さに築かれ、土塁・石塁や空堀、3つの曲輪からは、種子島が近くに見え種子と屋久を結ぶ城の役目がありました。築城や経営は種子島氏の家臣が指導しましたが、多くの楠川の住民の協力があったことでしょう。楠川の歴史にも大きな影響があり、城ノ川の対岸には、種子島熊野神社につながる楠川熊野神社が安産の神様としてお守りされています。

27 楠川天満宮

 祭神正祠は、菅原道真公。創立年は不詳である。時代とともに天満神社、楠川神社、菅原神社など名称の変わった時代もあるが現在は楠川天満宮となっている。
 「楠川天満宮古文書」によれば、享保15年(1730年)5月、天満宮の鳥居造立の際に、酒の燗をつけていた鍋に銀貨2枚が降り入る慶事があり、村では「天福銀」と名付け宝物にして大切にお守り伝承することとしたと記されている。
 また、元文5年(1740年)5月、天神宮前の長瀬の浜に天神様の木像が流れ着き、それを役人達が拝見したところ、御天神様の尊像に間違いないことが分かった。神像は検分のためいったん鹿児島に上せられ、その後、楠川天満宮へ下されて安置されたと記録されている。
 学問の神様として信仰を集めるが、社殿が海に向かって建てられており、航海安全や海難防止の御利益もあると伝わる。

28 熊野神社

 熊野神社は、和歌山県の熊野三山神社を本宗とし、日本全国各地に勧請され、広く信仰を集めた神社です。楠川の熊野神社は、種子島の熊野神社を勧請したものと考えられますが、その年代やいきさつは不明です。
 楠川では、楠川の白浜に奇妙な石があるのを発見した村人が、その石を持ち帰ったところ、不思議な出来事がつづきました。石を家の木戸口に置いておくといつの間にか石が神床に移っていることが繰り返されたといいます。そこで、村の知恵者のある方に見てもらったところ、この石は熊野の宮から屋久島の庶民をお守りし繁栄を願って送られた女頭石であるとのことでした。これを聞いた集落の人々が種子島の熊野様に向かいあった東向きの小高い丘に、木造のお宮さんを造って祀ったという伝承もあります。なお、熊野神社はその後に造り替えられており、現在の社は種子島熊野神社の方を向いておらず、楠川白浜の瀬戸の方を向いているといわれています。

楠川温泉

 安土桃山時代1590年、豊臣秀吉が全国統一した藩政のころ、秀吉により世界の銘木と言われる、樹齢数千年以上の高価な屋久杉を切り出し、上告寺等の建立に使用されたことが古文書に記されています。楠川温泉は、古代藩政のころより、湯治温泉として長い歴史のある名泉です。
 5月から6月にかけて、そばを流れる湯乃川ではホタルが川面を乱舞し、幻想的な世界を見ることができます。
営業時間 ( 5~9月) 9:00~21:00
     (10~4月) 9:00~20:00 
定休日   毎月10日、20日、30日
料金 300円(大人:中学生以上) 150円(小人)
アメニティグッズ 貸しタオル:50円 貸しバスタオル:100円 髭剃り:30円

ドラえもん像とタイムトンネル

 楠川集落の城之川付近の県道77号沿いにドラえもん像があります。
 昭和48年(1973年)3月の楠川小学校閉校の記念事業として、在校生67名が20年後に夢を託し、タイムカプセルとして学校跡地に建立しました。平成5年(1993年)、初期の役目を終え、楠川登山道入口に移転しました。平成20年(2008年)に交通事故が多発したため撤去されましたが、平成21年(2009年)3月に現在地(楠川城址付近)にタイムトンネルとともに再出発いたしました。

 

屋久島の一部の集落で語り部さんのガイドにより集落の案内を行っています。           詳しくは、こちら⇨屋久島の「里めぐり」

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