屋久島の里 第22弾
屋久島の北東部に位置し、伝統的な祭りや行事を大事にしている、島で一番小さい集落です。また、集落の上に広がる棚田の風景は一見の価値ありです。
60 椨川神社沿革
椨川神社には、明治21年(1888年)に書かれた「椨川神社縁起考」という巻物が大切に保管されています。
その縁起考によると祭神は、建速須佐々男命(タケハヤススサノオノミコト)です。建速須佐々男命は、皇祖神 天照大神の弟になりますが、荒ぶる神とされ、勇武や迅速の意味を持つ「建速」の語を冠され、また「須佐」には暴風雨神の性格をあらわす意味もあるといわれています。
天上の国の高天原では、いろいろな悪行を行っており、それに腹を立てた天照大神は、建速須佐々男命を高天原から出雲の国へ追放しました。地上におりてからの建速須佐々男命は、八頭八尾の大蛇、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して民衆を救うなど、天上の反逆児ぶりとは一転して知恵と勇武の性格が民衆に支持され、日本各地に建速須佐々男命を祀る神社が建立されていったと考えられています。
縁起考には、東に種子島を望む見晴らしのよい高台に鎮座する当社は、建速須佐々男命の霊力によって疫病を逃れられるといわれており、明治18年(1885年)に全国的に麻疹が大流行したときも、椨川集落の人のみ何事もなかったと伝えられています。
61 真宗末興寺と恵比寿様とサラオ様
〇真宗末興寺
古い時代に建立されたものですが。詳細は不明です。現在では春分・秋分の彼岸の中日、毎年11月28日の報恩講の日に志戸子集落の顕正寺の住職を招き、法要を行っています。
〇村恵比寿
真宗末興寺のそばには村恵比寿様があります。かつては、1月に行われる二十三夜祭の月待ちの時に村恵比寿を拝んでいました。祠の中には丸い石碑と大黒像が置いてあります。
〇サラオ様
村恵比寿と並んで、もう一つある祠には高さ9cmの大黒像が置かれています。この神をサラオ様といい、麦生集落からもらってきた神で正月やお盆に区民たちが拝んでいます。
屋久島の一部の集落で語り部さんのガイドにより集落の案内を行っています。 詳しくは、こちら⇨屋久島の「里めぐり」
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