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屋久島の里 行ってごらん(松峯集落)

屋久島
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 屋久島の里 第11弾

 島の東側に位置し、安房の町に繋がる新しい住宅地として発展してきた、歴史のまだ浅い集落です。鹿児島県の合同庁舎があり、最近はお茶畑などが増えてきています。

83 松峯区の誕生秘話

 

 安房村(現在の安房区)と分村する前の昭和20年、現在の松峯地区あたりには5世帯が居住していました。昭和22年から開拓入植が始まるとともに各地からの入植者が増え、小さな村落を形成するようになりました。
 昭和34年、入植者たちは、安房村の行事に思うように参加することができないほど、日々の開墾作業に追われ、経済的にも非常に苦しい生活を続けていたことから、安房村への不平不満も募っていきました。そんな中、感情的なもつれから、分村の機運が一気に高まり、当時の安房区長と入植者数名で協議した結果、昭和35年1月、分村が決定し、ここに松峯村の誕生となりました。
 昭和30年後半から、鹿児島県の合同庁舎や屋久島交通(現在は種子屋久交通)、屋久杉工芸店などの事業所の建設や、道路網の整備に伴い、様々な業種の事業所が立ち並ぶ良好な住宅地となりました。
眼前にそびえる明星岳に見守られた「松峯区」は、屋久島でも類を見ない人口増加を遂げましたが、その誕生時の178人の労苦と努力に感謝し、「明星」の名前のごとく、活気あふれる「むらづくり」をこれからも行ってまいります。

84 「松峯」の地名の由来

 

 屋久島では、山は杉、里や海岸においては松が代表的な樹木でした。
明治12年の地租改正により、屋久島各地に字名がつけられましたが、その中でも、当時の本地区は、屋久島で一番広大な松林があったことから、「松」の名にちなんだ字名が多くつけられました。
今では目につくことがあまりできませんが、昭和30年代まで島内各地の里や海には美しい由緒ある松の大木や松並木、松林がありました。
 また、安房川沿いに住む安房村の住民からみれば、標高40mから70mの本地区を、山と呼ぶには低い土地であったため、「松の生い茂る峯」として、「松峯(マツミネ)」と呼称されていました。
昭和35年1月、安房村から分村する際、古来より呼称されてきた「松峯」を村名(現在の集落名)としました

松峯大橋

 1985年に安房川の約1.5km上流に架けられた全長145m水面から約70m赤い橋です。春牧集落の「14 滝之川の一枚岩」から約750mほどに北に向かった位置します。この橋をわたる車はほとんどなく、隠れた観光スポットです。箸方の眺めは、照葉樹林の中を安房川が静かに流れる眺めは絶景はもちろんのこと、安房川ではカヤックやSUPなどのリバーアクティビティが楽しみながら、水面から見上げる松峯大橋も迫力満点です。

屋久島の一部の集落で語り部さんのガイドにより集落の案内を行っています。           詳しくは、こちら⇨屋久島の「里めぐり」

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