屋久島の里 第17弾
屋久島の北西部に位置し、集落の前面には東シナ海を望み、屋久島一とも言える海岸線に沈む夕日は絶景です。また、平成14年放送のNHKの朝の連続ドラマ「まんてん」の舞台となった集落。
4 吉田集落棚田の大石
屋久島は、約1550万年前、隆起して出来た島といわれ、その時に島の形が作られました。約1550万年の間、雨風に晒され削られて小さな石や砂になり縄文杉の時代へと移り、落葉や倒木が腐り土となり、岩の間に屋久杉や石楠花、モミやツガ等の針葉樹、里では広葉樹の植生が盛んになりました。
棚田の大石は、溶岩とともに流れてきたのか、地殻変動や土砂流等よるものなのかは明らかではありません。ただ、はっきりと大きな声で伝えることができるのは、約1550年万年の間、皆様との出会いを楽しみに、またストーンパワーを皆様にお届けするためにここに座り続けているということです。
石と石の間の小さな土地は、私たち吉田集落の住民にとっては大切なお米を育て、神様や仏様にお供え、残りをいただき、今日まで命を繋いできた大切な場所であり、祈りの場所です。
5 トンボレ(瀬風呂)
吉田集落には、トンボレ(瀬風呂)と呼ばれる岩風呂が6か所あります。自然形の岩風呂に海水や川の水を溜めたのち、焚火などで熱くした石を入れて沸かして入っていました。素潜りなどの漁の後に体を温めたり、薬草等を入れて疲労回復や治療のため、また体を癒したりするため使っていました。
また、朝ドラ「まんてん」の撮影でも使われました。
6 祀りの大岩
1550万年前の隆起した屋久島花崗岩。古代から元旦の日に下の浜の海水で身を清め、この大岩に合掌し、森山神社、日高神社に参拝していました。
「美しい白さ」「集落”守護”」
表面の白さが美しく、背景の山々の緑と調和してさらに美しく見えます。大きく形状もよいということで世間遺産に認定されました。(NPOかごしま探検の会)
38 日高神社
祭神は、天照大神(一品法珠権現)、旬々能智神、草野姫神が祀られていて、「吉田神社」とも呼ばれています。吉田岳頂上に御神体があり、平家の落人を祀っているという由来があります。平家の落人は、屋久島の中でも最初にこの吉田集落に上陸し、ここから島内の各地へ分散したといわれており、平家一族の中の日高阿波前司吉房が、日高神社を建立し、この日高氏を守神として日高神社が祀られたといわれています。
日高神社境内には、黒石に仏法を書いたものが出てくるが、これは、日高神社の近くにあった日蓮宗の寺院(本満寺)の禅憎が書いたものといわれています。この黒石はどこから運ばれてきたのか定かでありませんが、おそらく日高阿波前司吉房が1200年代に源氏からの攻撃に備え、屋久島、口永良部島に城壁を構えた時代に、口永良部島の火山岩をこの地に運んだのではないかという言い伝えがあります。
旧暦の12月28日に大祭が行われていましたが、現在は、新暦の12月28日に行われています。
54 森山神社
祭神は、手置帆負大神大山津見命(たおきほおいのかみ)であり、安産の神様といわれています。また、森山神社は、源氏に敗れた平家の落人が、屋久島に流れ着いた最初の地(この神社の砂浜(下の浜))とされており、別名「浜神社」ともいわれています。
また、吉田集落では、春(旧暦4月)と秋(旧暦9月)の2回行われる「岳参り」の前日に、この森山神社で宮籠りの式を執り行います。当日は、早朝に、森山神社の下の浜で身を清め、白砂を取って、この境内から出発します。
毎年、旧暦の9月13日に森山神社祭が行われています。
72 吉田小学校跡地
現在、吉田集落の中心となっている吉田生活館があるこの場所には、かつて吉田小学校がありました。吉田小は、明治9年4月開校。分校などを経て、昭和16年4月吉田国民学校、昭和22年4月に新学制施行に伴い吉田小となりました。戦後、生徒数が最も多かったのは、昭和38年の119人で、閉校時は57人でした。(昭和48年3月閉校、一湊小学校と統合)
小学校の建物は、現存しておりませんが、生活館の裏にある「まんてん館」は、吉田小の講堂を改修したもので、屋久島が舞台の、平成14年から放送されたNHKの朝の連続ドラマ小説「まんてん」の資料館となっています。
2023年に資料館に行った時はあまり管理されていない感じでしたね。ちょっと残念😞だったけど「まんてん」は好きでよく見ていたので懐かしかったです
屋久島の一部の集落で語り部さんのガイドにより集落の案内を行っています。 詳しくは、こちら⇨屋久島の「里めぐり」
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